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過ぎ去りし日々の終着点

日常とかアニメの感想とか。九分九厘自分のためです。

更新控えると書きましたが、
とりあえず自分の被災状況だけでも
まとめるべきかと思ったので書いときます。

最初に書いておくと、自分の被災した場所は
仙台などのような津波の被害がないところで、
比較的被災状況も軽かった方なのだと思う。
それでも、ガラスや屋根瓦、壁の破損、
停電や断水で非常に不安だった。


11日朝、18きっぷで埼玉から旅行に出発。
運悪く、旅先に選んだのは福島、仙台、盛岡。
福島では、あぶくま洞に寄って楽しんだ。

予定よりひとつ早い、お昼の電車に乗って、郡山。
乗り換えて、仙台へ向かう途中の金谷川駅を
過ぎたあたりで最初の地震発生。
すぐに電車は緊急停止。
自分のもそうだったが、隣にいたおじさんの
ケータイがけたたましい音を立てていた。
この地震警告通知が来てからなのか来る前なのか、
最初の揺れが来て、長い時間、揺れが続いた。
揺れが来た当初は、あっ、地震だな、予定狂っちゃうな、
どうしようかな、なんて甘いことを正直考えていた。
電車内だからなのか、揺れはそこまで大きく感じなかったのだ。
ただ、長い時間、断続的に続いたことと、
山の中だったこともあり、すぐ恐怖感がわいてきた。

車掌さんが現れ、線路内は危険だから
指示があるまで車内で待機とのこと。
緊急停車から1時間以上たったときの車内外の様子。
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やまない余震に、混乱する乗客。
それをなだめる乗客、無言の乗客。
自分も平静を装っていたのだけど、
悪い意味でテンション上がっていた。
場所が場所なので、土砂崩れが起きないか、
脱線して下へ落ちてしまわないか。
電気がストップしたので、暖房が止まり、
トイレを1度使ったが、真っ暗で、汚物も流れない。

最初の地震が起きてから2時間半ほどで、
たぶん行動的な乗客の方だと思うのだが、
JR側に打診し、線路内に立ち入る判断がされた。
暗くなる前に歩いて街へ下りようとのこと。
確かに、暗くなってしまってからでは、
車内で一夜を過ごすことになってしまう。

トンネルのある方向には危険でいけないため、
進行方向であった福島駅側へ歩いて避難した。
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気は引けたが、一眼を取り出してシャッターを押した。
決しておもしろがって撮っていた
わけではないことは理解してもらいたい。
降りてみると、結構な数の乗客がいたことがわかった。
40分ほど歩いて、南福島駅に到着。
電話をする人(当然つながらないが)、迎えを待つ人。
自分といえば、居場所がなく、大変困惑していた。

ひとまず避難所になっているはず、と近くの杉妻小学校へ。
避難してきている人は予想以上にいた。
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しかし、ご覧のとおり、電気が通っていない。
ストーブも限られ、寝転がっていたが寒かった。
しばらくして、青少年会館というところに避難所が設置され、
電気があるということですぐにそちらに移動した。
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移動して間もないときの様子。
明るくて、安心感があった。水道も生きているようだった。
ラジオはずっと流れていたが、そのうちテレビも導入され、
ここで初めて、事態の大きさに気づかされた。
ラジオの言葉では聞いていたが、テレビの映像で事態を
視覚的に感じて初めて、世界最大級規模の地震なのだと理解した。

ひとりで居たので、それを心配してくださったのか、
他所のご家族の主婦の方に、軽い食料や毛布など、
ものすごい気遣いをいただいた。
ただただお礼を言う事しか出来なかった。
非常食として缶パン(乾パンではなくて)や水が支給された。
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当然ながらおいしいものではなかったが、
通常の乾パンに比べたら食べ応えのあるものだった。
それから、近くのスーパーのご好意で、
調理パンを1ついただくことができた。
自分は性格上、がっつかずに少しだけ食べたり飲んだりして
個人的な備蓄を増やしていった。
普段は大食いだが、こんな状況だと食欲もわかない。
食事はパン1個とかでも十分に感じた。
家族とは、メールがなんとか通じて安心した。

消灯後、応急にこさえた寝床に寝転がり、
落ち着いてから、いろんなことを考えた。
リアルに、“東京マグニチュード8.0”のアニメを思い出した。
家に帰りたいという気持ちがまず大きかったが、
歩いて帰ろうにも埼玉は遠すぎる。
電車や高速は当たり前のように凍結。
いつ帰れるのかが本当に不安だった。
また、避難所に入ってからも大きな余震が続き、
壁やガラスが落ちてくるんじゃないかとビクビク。
そんな状態ながら、なんとか一夜を明かし、翌日の朝。
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人数もだいぶ増えて、雰囲気は悪くなかった。
しかし、小さな子供が走り回り、とてもうるさい。
親もろくに注意しない。正直迷惑だ。
しかし、今はこちらが受け入れるべきだと思い、
我慢していたが、子供の無邪気さはなんだか悲しくもあった。
朝までに断水も始まってしまい、貯水タンクのあるこの設備は
辛うじて水が使える状況であったが、節約のため
やはりトイレは流せず、お風呂なんてもってのほか。

体力を温存しておこうと、基本的に体育館に居たのだが、
スーパーが店頭販売を開始したということで行ってみた。
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店内には入れなかったが、商品を外に出し、
限られてはいたもののお菓子やカップめんなどが手に入った。
日本人はこんなときでも律儀にレジに並ぶのか、
という海外の反応もあるみたいだが、こんなときこそ
こういった秩序を保てる日本人はすごいのだと思う。
それから、こんな状況でも人のために働く店の人、
市の職員さん、地元の人は本当に尊敬に値する。
自分は正直、自分のことで精一杯だった。
知らない土地で被災というのはやはりきつかった。

ちょっとした買い物をし、避難所に戻って休んでいたが、
街を知る必要があると思い、昼過ぎからまた外に出て歩いてみた。
大通りに出るとそれなりに大きなお店があったが、
多くのコンビニやその他の店舗は営業を取りやめていた。
その中でも営業していた、ユニクロに寄ってみた。
お客さんは全然居なかったが、不思議と平然と営業中。
夜の寒さに備えてヒートテックを購入した。
それから、ドコモショップにも寄ってみた。
ケータイの充電をする人で賑わっていた。
自分は、2年使ったケータイだったので
電池パックを無料でもらっておいた。
大きなホームセンターにも訪れた。
3口タップやウェットタオルなどを購入。
あとは安い自転車を眺めていた。
これで行けるところまで行けないかと考えていた。
ホームセンターの隣に、国土交通省の出張所があり、
立ち寄って国道4号の様子を聞いてみた。
2箇所ある通行止めの場所を避けていけば、
郡山辺りまで自転車でも行けるとこのこと。
避難所を転々として、家族にも迎えに来てもらえれば、
いつになるかわからないがなんとか帰れるんじゃないかと
今思えば無茶なことを考えていたりした。

避難所に帰って、少し騒がしかったのでテレビを見ると、
福島第一原子力発電所の爆発事故のニュース。
もう最悪、どうにかなりそうだった。夢であってくれ。
現場から避難所は、直線距離で60キロほどあるが、
いったいどうなるのだろうと、不安で不安でしかたなかった。
我慢できなくなって、20時過ぎに荷物をまとめて出発。
お世話になったご家族にお礼を言って、せめてもと思い
昼に買ったカップめんや飲み物は残していった。

人生初めての、ヒッチハイク。
大通りに出ると、車は渋滞しない程度に多い。
どうやって止まってもらうかおどおどしていたが、
すぐに赤信号で止まったワゴン車に声をかけた。
運良く、郡山まで行く若い男性だった。
頼んだら、快く乗せていただき、本当に感謝。
それと同時に、家族にも連絡し、
こちらの方面へ迎えに来てくれることに。
運転手さんはよくしゃべる明るい方で、
こちらの状況を聞いて心配をしてくれつつ、
いろんな話をしてくださった。
盛岡の方から仙台を通って来たそうだ。
長距離移動するにはトラックがいいだろう、
とアドバイスをいただき、わざわざ次の当てが見つかるまで、
郡山付近までお世話してくださるという。

4号をずっと上っていったところで、
トラックが2台停まっているとあるコンビニに停車。
1台目はやはり若い男性、でも行き先は山形。
2台目の運転手さんは、ちょっとコワモテの
40歳くらいの男性、行き先はなんと埼玉。
こんな状況だからとこちらも快く乗せてくださり、
言い表せないほどの感謝感謝感謝。
先ほどの男性のアドバイスの通りだった。
ここまで乗せていただいた男性に深くお礼を言って別れ、
今度は大きなトラックに乗せていただいた。
仕事のことで万が一迷惑になるといけないので、
どこまで行ったかは書けないが、ほぼ地元の方まで。
高速使えないため長い下道の上、余震が続いたり
道がボコボコで運転に疲れているはずの中、
寝てていいよとかお菓子いただいたりとか
ホントに気を遣ってくださり、涙が出るほどに感謝。
両親に連絡とって降ろしてもらったところに来てもらい、
なんとか家まで戻ることができた。

正直、少し気がおかしくなって飛び出し、
どうなるかも予測せずに体当たりなヒッチハイクだったが、
運良く、大変温かい方々にめぐり合うことができ、
たった2台の車で福島から埼玉まで
帰って来れたこと、本当にありがたい。


原発の件、不安がまだまだ残るので安心できない。
新しい情報が欲しいがそれが怖かったりもする。
それでも、南福島でお世話になったご家族、
働いてくれた方々、車に乗せてくれた方々、
全員に心からの尊敬と感謝をし、
そして無事にどうか頑張っていただきたい。
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なんとか帰って来ましたが、
しばらくの間、更新控えると思います。
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